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ほめられたり、お世辞をいわれたりすると、悪い気はしないものです。なかには、ことさらオーバーに褒めたり、大げさなお世辞をいう人もいます。 たとえば、友人の弾くギターを聞いて、「そこまで弾けるとは、たいしたものだ」「脱帽とはこのことだな」などと褒め上げます。あるいは、ファッションセンスに自信のある人に対して、「モデル並みの着こなしだね」「雑誌に載ってもおかしくないんじゃない?」などと持ち上げます。
ただし、彼らは相手を喜ばそうとして、オーバーに褒めたり、大げさなお世辞をいっているわけではありません。彼らの内面の葛藤が、オーバーな褒め言葉やお世辞になって表れているのです。 その葛藤とは、彼らが抱えている劣等感や嫉妬です。 褒めたり、お世辞をいったりするのは、基本的に相手を喜ばせ、仲良くしたい気持ちからですが、極端な褒め言葉やお世辞の場合は、相手を喜ばせるというよりも、劣等感や嫉妬に由来していることがあるのです。 たとえば、友人のギター演奏を大げさに褒めるときを考えてみましょう。 本当は友人のギターの腕はさほどではないと思っても、自分はギターをまったく弾けない。すると、ギターを弾ける友人のことをうらやましいと思った瞬間、「自分は無能である」という劣等感にさいなまれることになります。 その劣等感を内部で抱え込むのは、精神的につらい。内心では「たいした腕前ではない」「あれぐらい、俺だってちょっと練習すれば弾けるようになる」と思っていても、それを言葉にするのは、さすがに恥ずかしい。そこで、相手をことさら持ち上げることによって、ギターに関しては格上の存在にしてしまうのです。格上とはっきり認めてしまえば、それ以上、劣等感に苦しむことはないからです。 ファッションセンスに自信のある友人に極端なお世辞をいうのも、同様の心理です。そのようなお世辞を口にする人は、内心、自分もファッションセンスに自信を持っているケースが多く、相手のほうがとくにすぐれていると思っていません。 ところが、相手にちょっとでもすぐれていると感じる点があると、もともと同等と思っていたため、負けたような気持ちが大きくなります。 しかし、そこで嫉妬心を抱くと、自分が惨めになるだけです。そこで、相手を持ち上げて、一段、格上にしてしまうのです。この場合も、相手を格上と認めてしまえば、それ以上は嫉妬に苦しむことができなくなるからです。 そんなわけで、オーバーに褒めたり、大げさにお世辞をいう人は、相当な劣等感や嫉妬に支配されている人と見ていいでしょう。 |
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