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謙虚さはひとつの美徳であることは間違いないのでしょうが、社交辞令で言っている場合があり、表面どおりには受け取れないことがあります。 この謙虚な姿勢の裏には、いろいろな心理が潜んでいることがあり、ここではそれを検証してみましょう。
謙虚は、美徳であります。たとえば、仕事で手柄を立てても、 「いえいえ、私は何もしていませんから。みんな、部下の○○くんがやってくれました。彼をほめてあげてください」とか、 「ここまで来ることができたのも、すべてみなさんのおかげです。本当に感謝しています」 などと、少しも自慢げな態度をとらない人がいます。 もちろん、ただの社交辞令という場合もあって、そのつもりで口にしている人は、「いやいや、私は何も」などといいながら、顔は得意げで、態度はふんぞり返っていたりするので、すぐに分かります。
また、謙虚であることは得がたい美徳ですが、注意したいのは、一見、「謙虚」に見えて、実はただの責任逃れ、というケースがあることです。 たとえば、会議の席で意見を求められ、 「いやいや、私の意見などけっこうですから、みなさんでお決めください」とか、 「ここは、○○さんもそうおっしゃっていますし、それに従おうと思いますが、いかがでしょう」 そんなふうに言う人は、ただ自分で責任を負いたくないだけ、という本性が透けて見えます。
たとえば、男女のデートのシーンを想像してみても、よく分かるでしょう。 「どこに行こうか?」 「何食べたい?」 「何でもいいです」 これは、謙虚とはいいません。ただ、自分で決定することを避けているだけです。こういう女性にかぎって、あとで、 「○○くんが連れて行ってくれた店、なんか趣味悪いんだよね。けっこう最悪かも」 などといいふらしていたりします。 会社でも、自分の意見をちゃんと示さない人は、謙虚な人ではなく、責任回避の要注意人物と思ったほうがいいでしょう。 |
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