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人間が二足歩行になったときから、背中の筋肉は常に過酷な労働を強いられてきました。「男の背中には哀愁がある」などのように、中年男性を婉曲的に称えるようなフレーズがありますが、これも、毎日の労働に耐えている男性本人と、その背中に対するねぎらいの気持ちが込められているのでしょう。
背中は、手や足のように目だった動きをするわけではなく、しかも、自分の手で直接触れることも癒すこともできない位置にあります。日々の緊張や労働にただただ耐えるだけの、けなげな部位であります。 自分の背中には触れることはできませんが、他人の背中ならそれができます。 たとえば、自分の背中がかゆくても、自分の手で掻くことはできません、そのもどかしさを解消するためには、「あなたの背中を掻いてあげるから、私の背中を掻いてください」というしかありません。ここでは、自分の思い通りにはならないことを相手にゆだねるという条件付けをすれば、少しでも可能にできるという心理が働くわけです。
人の背中に触れることは、自分に触れてほしいという願いを込めていると同時に、自分をいとおしいと思うくらいにその人をいとおしく思っているという証です。腕でしっかり抱きしめられたとき、その背中には、母親の温かな手を感じていたはずです。お風呂で家族や友人と背中を流し合ったことを思い出す人もいるでしょう。 安らぎと愛情が込められたその手に触れられることで感じた喜びは、大人になったいまでも、幸せな記憶として残っているのです。 背中に触れるという行為は、さりげないけれども、心の中にしまい込んでいた温かな記憶を呼び起こす力があります。触れられる側はもちろんですが、触れる側も同様です。
背中に触れるといっても、日常的によく見られるのは、背中を軽く叩くという行為です。がっくりと肩を落として落ち込んでいる人の背中を叩いて、なぐさめ、励ましてあげる。 成功を手に入れて喜んでいる人の背中を叩いて、祝意を伝える。久しぶりに再会した友の背中を叩いて、友情を確かめ合う。力を貸してくれた人の背中を叩いて、感謝の気持ちを伝えるなどなどです。
こうしてあげてみると、すべてに抱擁の意味が込められているのがわかるでしょうか。背中を叩くというのは気軽にできる動作ですが、実は、愛情を込めて抱きしめているのと同じことなのです。とくに、あまり体に触れ合うことを好まない日本人の場合には大きな意味を持っています。 おそらく、これまでにも、異性から背中をポンと叩かれたり、背中に触れられたりしたことがあるでしょう。それは、その人があなたに向けた「抱きしめたい」という意思表示なのです。 街中を歩いていて、突然、後ろから背中を叩かれて振り返ったとき、そこには愛情のこもったやさしい表情があったはずです。 合コンのあと二次会に場所を移すとき、「こっちだよ」と背中に手を当てて誘導してくれた人は、おそらく、あなたにターゲットを絞っていたはずです。
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